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ブログ - Words from Flying Books

運命はどこで拓かれるか

ミュシャといえば、繊細で優雅な作風からアール・ヌーヴォーの代表的な作家であると誰もが思うだろう。ところが、ミュシャの子息が書いた伝記によると、ミュシャはアール・ヌーヴォーの中心地とほとんど関わりがなかったのだそうだ。ミュシャのイメージがひとり歩きしてあまりにも有名であるため、「知っている」と思って作品を見た気になっていたが、どのようにしてミュシャはアール・ヌーヴォーの時代を生きたのか辿ってみたい。

アルフォンス・マリア・ミュシャ。1860年イヴァンチッチェ(現在のチェコ)生まれ。ミュンヘンとパリで美術を学んだ。
1880年の終り、商業イラストレーターとしてパリに居を定めたとき、すでにパリではポスター制作における革新的で活発な動きでわきたっていた。ミュシャは挿絵画家としては認められるようになったが、相変わらず一文無しだった。

ミュシャを世に知らしめたのは、1894年のクリスマス、街にいた画家たちは休暇に出かけてしまい、友人に頼まれて校正をチェックしに印刷所に行ったのが運命を切り拓くきっかけとなった。クリスマスの朝から翌日の午後までかかって校正作業を終えようとしていると、印刷所にサラ・ベルナールから電話があり、元日までに舞台用のポスターが必要だという。当時は、印刷所がデザイン事務所のように、画家と契約して仕事を請け負っていた。ミュシャはポスターなど作ったことがなかったが、この時期、他に依頼できる人がいないということで、早速その晩、印刷所のマネージャーと一緒にサラの舞台を見たあと、すぐにアイディアをスケッチし、ポスター制作が始まった。(舞台のあと、相談しようと入ったカフェで大理石のテーブルに直接スケッチを描いた!)色をつけた完成作品を劇場に送り、28日にサラがスケッチを気に入ったと伝言があり、大急ぎで印刷を進めることになる。時間があまりないため、ポスターを上下に分け、石に上半分を描き、これを刷っている間に下半分を描いた。(ところがあまり急いでいたために、ミュシャが描きあげる前に職人たちが石を持っていってしまったそうだ。)そうして31日までになんとか印刷が終わり、吊るして乾かしているとき、マネージャーが様子を見に来た。

マネージャー:「ポスターはどうかね?」
   ミュシャ:「できました! 完成です!」
マネージャー:(顔色を変えて)「ああ! ごちゃごちゃじゃないか!サラはきっと受け取ら          ないだろう。あんなにいっぱい詰め込むやつなんかいやしない」

そのとき、劇場から催促の電話が入り、マネージャーはさよならも言わずに馬車に乗ってポスターを持っていった。

自分のためにマネージャーは面目を失うことを思うとひどく打ちのめされた気分になり、この制作のために費やした時間と労力、クリスマスも台無しになったことを悔やんだ。しばらく落ち込んでいたミュシャのところにマネージャーからすぐに劇場に来いとの電話。「叱られる」と思いながらも、劇場へ向かった。サラと顔を合わせるのは初めてだ。サラはミュシャのポスターの前で涙を拭いさることもできず立っていて、ミュシャが来ると抱いて喜んだそうだ。そして、サラ・ベルナールの舞台「ジスモンダ」のポスターでパリじゅうにミュシャの名が知れ渡り、それから6年間、サラとミュシャは一緒に仕事をするようになる。

大衆の熱狂的な反応はなおのこと、「ジスモンダ」のポスターは収集家用の作品となり、単なる広告から芸術作品となった。(写真はロートレック・コネクション図録より)
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ポスター芸術の先駆者トゥールーズ=ロートレックのような大胆で面白く人物を描くのとは違って、ミュシャの細部まで注意深く仕上げられたデッサンと淡くやわらかな色調そして精巧な装飾で彩る。

「アール・ヌーヴォー」は一時期「ミュシャ様式」と同義であったそうだが、ミュシャはアール・ヌーヴォーについて決して語らなかった。その代わり、いつも「私なりのやり方でやった」という言いまわしをよく使った。彼は自然から装飾的な要素を取り入れ、彼の祖国に対する熱い情熱で彼はその運動に独創的で純粋なスラヴ的な要素を持ち込めると確信した。アラベスク模様、波うつ髪の曲線など、空間を埋めるための装飾の使用―これらはすべてミュシャが空白を嫌い、一つの領域を分節し、分割し、同時に調和させることの必要性を感じたことから生じている。

産業革命以後、ゴシック様式やルネサンス様式は、電灯と鉄橋と飛行船や自動車とは合い入れなかった。ウィリアム・モリスが公表した考えは、当時の人々に対して持っていた革命的な意味が薄れ、「社会芸術」と解釈されるようになっていた。それに対して、詩人ジャン・ラオールが「大衆芸術国際協会」を立ち上げ、ミュシャもその会員となった。ラオールは、美に対する感受性を持たせ自分たちの環境を改善しようという意欲を植えつけるには、大衆は支配階級から芸術を受けねばならないと考えていた。ミュシャにとっては、理想的なモチーフを切望する気持ちを満足させるだけでなく、愛国的な気持ちもいつか取り上げられるだろうと確信していた。

アール・ヌーヴォーが一つの精神の中に合理的神秘主義と感情的社会主義を合わせ持ち、そのおのおのがそれ自体混乱を招くものだった。そんな中でアナトール・フランスは懐疑主義的であった。彼はかつてブーランジェ党員で、「すべての兵士にアベル・エルマンの『十字架の悲惨』という平和主義的な小説を持たせるように」とのシャルトル公の命令を賞賛したが、この本は厳しく批判され、焼かれてしまう。後に、ドレフュス運動が始まると、協会と陸軍に対して、ゾラと相並んで勝利を得た。
アナトール・フランスがヴァル・ド・グラース街を訪れたために、ミュシャは『CLIO』の挿絵を描くことになり、1900年にフランスから出版された。
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扉をめくると、「A EMILE ZOLA」(エミール・ゾラへ捧ぐ)となっている。出版されてから100年以上経った今でも、ミュシャの淡く美しい色調が生きる石版刷り。金色を配して優雅で色鮮やかな表紙絵。12点のリトグラフが入ったとても贅沢な一冊だ。
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clio5clio6イデオロギーの対立、パリ万博、世界大戦の始まりなど、世紀末の混乱した風潮のなかで、ミュシャが芸術を通じて目指していたことは、結局この会によっては達成されなかったようだ。その後、ミュシャはニューヨークへ渡ったのち、チェコの歴史をモチーフにした大作を構想、20年かけて<スラヴ叙事詩>を1928年に完成させた。そして、ミュシャは1939年に79歳で亡くなる。オーストリアの専制政治から自由になるのを目のあたりにしてきた彼の故国が、ドイツの侵攻によって新たな圧制の犠牲になって崩壊していくのと同じときだった。
後世から見ると、ミュシャの作風は広くアール・ヌーヴォーの特徴が見られるのでひとくくりに語られることが多いが、その時代を生きた人にとっては、アール・ヌーヴォーの様式を広めることよりも、もっと切実に、この社会において芸術が荒んできているのをなんとかしなければならないという意志が根本にあったようだ。そして、「ジスモンダ」のポスターを描いたときからずっと、ミュシャは祖国に対する愛を持ち続けていたのだと思う。

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『CLIO』 
Anatole France 挿絵:Alfons Mucha
MUCHA画 カラーリトグラフ12図入
HC 革装 少スレ Calmann Levy  1900年
¥147,000

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『ALPHONSE MUCHA PHOTOGRAPHS』
アルフォンス・ミュシャ Graham Ovenden編
HC カバー St.Martin Press  1974年
¥12,000

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『アルフォンス・マリア・ミュシャ 生涯と芸術』
ジリ・ミュシャ(イージー・ムハ)著
初版 カバー少ヤケ ドイ文化事業室 1988年
SOLD

Uehara

2011 年 1 月 21 日 | comment
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アナログも配信も!今年も音楽出版もがんばっちゃいます

2011年も、「Flying Books」もFlying Booksの音楽レーベル「FLY N’ SPIN RECORDS」もガンガン動いていきます!

まず2月23日にFLY N’ SPIN RECORDS初の配信限定で、「タマトミカ」の「101018@Motion Blue」をリリースします!
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ピアノとヴィブラフォンの女性インストゥルメンタル・デュオ「タマトミカ」の楽曲は、言葉はなくとも、やさしく、懐かしく、また時に激しく、さまざまな情景が浮かんで来ます。ポリスターからメジャーデビューし、NHKの番組や松本引越センターのCMソング等でも活躍中で、SUIKAメンバーとの交流などがきっかけて今回FLY N’SPIN RECORDSからのリリースさせていただくこととなりました。
本作は昨年11月に横浜Motion Blueで行っためずらしいバンド編成でのライブから、これまでCD未収録だった楽曲6曲に、スタジオ録音1曲を加えた7曲入。
2月23日よりi-tunes music storeを始め、各着うたサイト、音楽配信サイトでご購入いただけます。

公式サイト:http://www.tamatomika.com/
myspace:http://www.myspace.com/tamatomika
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「タマトミカ」「
101018@Motion Blue」
アルバム配信1200円/各曲配信200円(PC、着うたフル)、150円(着うた、リングバックトーン)
2月23日よりi-tunes music store他、各着うたサイト、音楽配信サイトにて。

続いて2月下旬、FLY N’ SPIN RECORDS初のアナログレコードが、
東京・恵比寿にあるヒップホップ専門店のWENOD RECORDSさんの協力で発売されます。
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A面は昨年11月にリリースしたSUIKA『スイカ夜話』から、SUIKAと降神による「タマキハル」を収録。「西遊記」をモチーフに5人のラッパー/詩人が15分にも及ぶ壮大なヒップホップ絵巻を紡ぎ上げてます。
B面にはフロア向けとしても最適な「MUSIC JUNKIE」と「BEATMAKER」を収録。
小林大吾デザインがお好きな方は、書下ろしのアートワーク(初のアナログサイズ)だけでも持っておく価値はあり。

正確な入荷日は追ってお知らせしますが、Flying Books店頭および、WENOD RECORDS店頭、通販予約で購入できます。
通販予約はWENOD RECORDSのサイトで受け付けてます。
初回プレス限定販売なので、お早めに!!

詳しくはこちらの特設サイトをご覧下さい!(試聴もできます)
http://www.wenod.com/distribute/tamakiharu/
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 SUIKA with 降神 「 タマキハル」
 12インチ / フルカラージャケット(アートワーク : 小林大吾)
特典: DOWNLOAD CARD
2011年2月下旬発売 定価 : 1680円 (tax in)
 FNSR-012 FLY N’ SPIN RECORDS/WENOD RECORDS
Flying Books店頭予約はメール(records[アット]flying-books.com)にて 
通販予約は
WENOD RECORDS にて
(初回オーダー締め切り : 2011年1月20日(木)までにご注文いただいた方は確実にご購入いただけます。)

インタビューもあります。
http://www.wenod.com/label/fnsr012/interview.html

レーベル面、特典カードのデザインはこちらでチェック
小林大吾ブログ「ムール貝博士言行録」
http://diagostini.blogspot.com/2011/01/blog-post_15.html 

現在、アルバム『スイカ夜話』のアカペラ無料DLキャンペーン中!
http://www.kaztake.com/ja/modules/smartsection/item.php?itemid=866

春頃にはSUIKAから女性詩人totoのソロアルバムもリリース予定です。
こうご期待!
(K.Yamaji)

2011 年 1 月 15 日 | comment
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Adieu a XとAdieu au langage

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 赤い帽子を後ろにしてかぶり、眼鏡を掛け無精髭、デニムのシャツにパンツ、そしてスニーカー。髪の毛は長髪で後ろで結わいていて、帽子に隠れている。肩に掛けているのは、35mmのフィルムカメラ。日に焼けた肌には、深いシワが刻まれていて見るからに老人だとすぐ分る。今この男のポートレートを見て、いくつかの外見に関する特徴をあげてみた。

この男こそ、あの中上健次が「太陽に焼かれてアラビア人を撃ったムルソーのような、中平卓馬の指」と絶賛された指を持つ男、生ける伝説、歩く写真機、目になった男、中平卓馬の現在の風貌である。

お世辞にもこの写真からは、伝説の臭いも味もしない。中平を知らない人が街で彼と出会ったら、ちょっと暇な変わったおじいちゃんにしか見えないだろう。伝説の正体はこんなものである。しかし、彼の写真や文章、生きざまを一度でも見たり読んだりした事がある者なら、このちょっと変わった老人のポートレートから、何か考え深いものを感じざる得ないだろう。

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 中上健次が、1989年5月7日号の「ダ・カーポ」で写真集を100点満点で評価している興味深い記事で、並みいる写真集を押しのけて、79点の高得点を叩き出しているのは、中平卓馬の『A dieu a X ア デュア エックス』だけである。2番手の杉本博司の『SUGIMOTO』でさえ40点である。逆向きであるが、同じく徹底しているとして、この二人が評価されているが、点数の開きは歴然である。中上健次の挙げたこの二人が現在も写真家に限らず、さまざまなジャンルの人々に影響を与えているのは、当然の如く自明の事である。

写真集『Adieu a X ア デュア エックス』は、この後の写真集『hysteric six』へ行く可能性を含めた、解放感一歩手前のまだノイズ混じりのしかし、「アレ、ブレ、ボケ」には帰らない強い意志と、言語とイメージのギリギリのせめぎ合いを感じれる写真集である。現在のカラー縦位置の2枚セットの、イメージのスコーンとした抜けた写真へ行く前の段階の写真には、現在だからこそ読み取れるキーワードが含まれているに違いない。

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 今、最もラディカルに世界の断片を記録し続けているのは、中平卓馬とジャン=リュック・ゴダールだろう。この二人に続く者として映画監督のペドロ・コスタに期待したい。

先日、2010年最後の映画としてゴダールの『FILM SOCIALISME』を日比谷で観てきた、『アワーミュージック』から5年振りとなる新作で、全シーンHDカムで撮影されたその映画の、ノイジーで色が潰れてにじみ出たような決して美しいとはいえない映像の若々しさに、度肝を抜かれた。80歳にもなるゴダールの想像力と怒り、そして「NO COMMENT」という画面を覆う文字に、目眩にも似た感動を得た。

映画のパンフレットに収録されているルーノ・ドフランのインタビューで次回作は?と聴かれて(これで最後かも?)タイトルだけは決まっているとインタビューでゴダールが答えていた。そのタイトルは『Adieu au langage ア デュア ラングエッジ』。これを読んだ時すぐに中平卓馬の事が頭に浮かんだ。

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『A dieu a X ア デュア エックス』のXの答えは間違いなくLANGAGEであると僕は疑わない。この二人のXへの挑戦は挫折すると思うが、その負けっぷりに期待したい。

 

『ADIEU A X』  中平卓馬
初版 帯イタミ 河出書房新社 1989
28,000円

林 裕司

2011 年 1 月 7 日 | comment
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